辛亥革命って何だっけ?
辛亥革命の発端って?目的はなに?
辛亥革命って日本でも必ず授業で習うけど、中国の出来事なのにそんなに大切なのかなぁ…
日本の授業でも必ず習う『辛亥革命』。
しかし辛亥革命がどの程度のインパクト(重要性)があったのかはイマイチピンとこない人も多いのではないでしょうか?
今回は辛亥革命が起きた原因・目的・さらには台湾や日本への影響なども解説していきます。
それでは早速>>>
できる限り専門的な用語は使わず、わかりやすさ重視で解説しますね
- 辛亥革命とは?
- 辛亥革命の発端(きっかけ)
- 辛亥革命の目的
- 辛亥革命と台湾の関係
- 辛亥革命が引き起こした日本への影響
- 辛亥革命は成功か失敗か
辛亥革命とは?
辛亥革命とは1911年10月10日に始まった『反清王朝派』が起こした革命です。
清王朝は当時の中国を支配していたので、いわゆる中国のこと。
つまり、反「中国」の人たちが起こした革命だと言うことですね。
ちなみに辛亥革命の「辛亥」とはこの革命が起きた1911年の干支が『辛亥』だったためです。
革命は10月10日に湖北省武昌で始まり、瞬く間に広がりその後多くの省が中国(清王朝)からの独立を果たすことになります。
清王朝から一定の成果を出した革命軍(反中国派)はその後、新しく自分達の価値観を共有する国家である『中華民国』を建国します。
そして清王朝の皇帝である「宣統帝溥儀」は皇帝の地位から降りることになると同時におよそ300年間続いた『清王朝』が終焉を迎えます。
清王朝が滅亡したことで中国では紀元前221年の秦王朝時代(2022年よりおよそ2200年前)から続いた君主制もなくなることになりました。
君主制国家とは?
皇帝や王様など「1人の絶対的権力者が国を支配する国家」のこと。
つまり、中国では清王朝が終焉を迎えるまで約2200年ほど絶対的な権力者が国を支配していたことになります。
清王朝では『宣統帝溥儀』がこの権力者にあたります。
ちなみにこの宣統帝溥儀が清王朝の皇帝になったのはわずか2歳10ヶ月の時のこと。
若干3歳にして国の絶対的権力者になった訳です。
ただの代表じゃないですからね!『絶対的権力者』です。
ちなみに宣統帝溥儀は「最後の皇帝」であったことから「ラストエンペラー」とも呼ばれます。
皆さんも聞いたことがあるかもしれませんね。
映画「ラストエンペラー」の主人公こそがこの宣統帝溥儀です。
幼い頃から中国と言う巨大国家を背負う運命をたどり、歴史に翻弄された宣統帝溥儀の人生を描いた『ラストエンペラー』はU-NEXT(公式ホームページに飛びます)でのみ視聴可能です。
※執筆時点
サラッと出てきた『中華民国』ですが、非常に大切な部分です。
詳しくは後ほど「辛亥革命と台湾」で解説しますが、中華民国はアジア初の共和制国家です。※共和制国家も後ほど解説
辛亥革命の指導者
辛亥革命のリーダーは『孫文』です。
授業でも度々出てきたので名前は覚えている人も多いんじゃないでしょうか?
生年月日 | 1866年11月12日 |
没日 | 1925年3月12日(58歳) |
出身地 | 中国広東省 |
主な功績 | 辛亥革命指導者 「中華民国建国」 |
有名な言葉 | 『革命いまだ成らず』 |
58歳と言う若さでなくなるまで生涯の多くの時間を革命に捧げたとされています。
辛亥革命で1度は中国政権(清王朝)を倒すものの、後々中国を支配することになる中国共産党に敗れ、日本へ亡命することになります。
情勢が良くない時には度々日本に逃れるなど、日本は孫文の最大の味方であり日本との繋がりが非常に強い人物です。
革命いまだ成らず
この有名な言葉は孫文が末期ガンに侵され、人生の最後に残した遺言です。
中国の自由を求めて革命を起こした孫文ですが、完全な達成は見れないまま永遠の眠りにつくことになりました。
孫文がこの遺言で伝えたいこと。それは、
「革命は道なかばであり、達成する為には民衆が引き続き努力をし続けなければならない」と言うメッセージです。
つまり、まだ完全なる成功ではないからみんなでこの革命を継いでくれと言うことです。
辛亥革命の発端(きっかけ)
1911年頃の中国は外国との交流が特に増え、貿易などで利益が出る一方、外国からの圧力が一層強くなっていました。
そのような情勢において清はイギリスとの「アヘン戦争」や日本との「日清戦争」に負けてしまいます。
負けが続き中国全体の統治もうまくできなくなっていた清王朝は次第に国民から反感の声が大きくなっていきます。
さらにこのような状況を打破するために清王朝は外国から知識を輸入し、更なる発展を目指しました。
しかし、これが裏目に出てしまいます。
特に清王朝が欧米から借金をし、ある民間鉄道会社を国有化しようとした出来事は辛亥革命の最後の発端となりました。
中国がただでさえ欧米から戦争を仕掛けられ、敗戦をしたのにも関わらず欧米に助けを乞うような姿勢が国民の反感を買いました。
そう言った経緯から清王朝に取って変わる新たな政権の立ち上げが模索されました。
さらに清王朝が漢民族の王朝ではなかったことも国内で批判が多くなっていった理由の1つだと言われています。
清王朝は中国の王朝ですが、実は漢民族の王朝ではありません。
つまり、中国は「外国人により統治されていた」と言うことになります。
少しおおげさに言えばアメリカが日本を統治しているみたいなイメージです。
当然、中国のことは中国人(漢民族)で考えたいとなりますよね。
辛亥革命の目的
辛亥革命は民主的な近代国家を作り上げることが最大の目的です。
辛亥革命以前の中国では、古くから皇帝がおり約2200年間「絶対的な権力者」が存在していました。
その体制に限界を感じたのが孫文です。
孫文が言う近代国家とは『三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)』の国家です。
全ての民族が統一され、かつ民主的で民衆が政治的権力持つ国家を指します。
辛亥革命と台湾
辛亥革命の大まかな概要を知ってもらえたと思います。
その中で
『中華民国』ってなんか聞いたことあるような
と思った人も多いはず。
そうです。中華民国とは『台湾』のことです。
意外と知られていない台湾の誕生ですが、台湾の誕生は辛亥革命にあります。
なので、台湾の建国記念日は10月10日(辛亥革命勃発の日)です。
※本当の本当の台湾の建国記念日は1912年1月1日。しかし、一般的な認識では1911年10月10日。台湾の成り立ちは新記事を追加予定
さらに建国の立役者である孫文を台湾では「國父」、「国の父」と呼びます。
なお、建国記念日である10月10日を「雙十國慶節(雙=日本の漢字の「双」、雙十=2つの10)」と言います。
台湾では孫文を『國父』、10月10日を『雙十國慶節』と呼ぶんだね。
孫文は台湾ドルの100元のお札にも描かれてるよね。
アジア初の共和制国家
辛亥革命とは?にて台湾(中華民国)はアジア初の共和制国家だと紹介しました。
共和制国家について解説します。
共和制国家とは?
共和制国家とは絶対的な権力者がいない国を指します。
つまり、王様や皇帝がいない国家です。
共和制では国民がリーダーを選択します。
そのためこれらを聞いた限りでは民主的かのようにも思えますが、共和制であれば民主的だとは限りません。
事実、2022年現在多くの国が実は共和制国家です。
- アメリカ
- フランス
- ドイツ
- ロシア
- 中国
これらの国は共和制国家としています。
んっ?って思った人もいるかもしれません。
ロシア、中国などはある人物が絶対的な権力を持っているように思えますよね。
つまり、共和制は国民が代表を選ぶが、その代表が政治において国民の意見を聞き入れるかは別のお話です。
※そもそも国民が代表(リーダー)を選択できているのかすら疑問があります。
話がそれましたが、絶対的な権力者がいないことが「共和制」の定義です。
ちなみに日本は立憲君主制です。
憲法で絶対的な権力者の力を制限することで、独裁できないように制限しています。
日本にはそもそも君主が存在しないなどの議論はありますが、ここで言う日本の絶対的な権力者とは天皇を指しています。
辛亥革命が引き起こした日本への影響
日本は辛亥革命指導者である孫文を度々サポートしました。
中国国内で拘束されるリスクがある孫文は日本に幾度となく逃れ、日本も孫文をサポートする支援団体が多く存在していました。
孫文の辛亥革命の拠点は日本であり、日本は辛亥革命の発信地とも言えます。
なぜ他国の事情である革命をサポートしたか?
当時欧米の国々がアジアに圧力をかけており、日本としても他人事ではなかったためです。
しかし、最終的には辛亥革命は日本の内閣の交代を引き起こしたとも言われています。
海外のできごとで日本の内閣が変わるんですから、大きなインパクトですよね。
また、孫文は日本人の妻との結婚など、大切なイベントも度々過ごした日本で取り行われています。
辛亥革命は「成功」or「失敗」?
結局「辛亥革命は成功だったのか?それとも失敗だったのか?」
疑問に思う人も多いはずです。
筆者としてはこの答えは「どの立場から見るかによって変わる」と考えています。
その立場とは2つあります。
- 台湾・日本などの現代の民主主義国家
- 中国
それぞれ見ていきましょう。
台湾・日本などの民主主義国家から見る辛亥革命
独裁ではなく民主的なルールのもと生活を営む台湾や日本、その他の国・人々から見れば辛亥革命は成功と言えるはずです。
そもそも中華民国は孫文が掲げた「三民主義」が理念にあります。
民主主義を理念として価値観を共有する人々から見れば、中華民国と言う民主的な国家の誕生は間違いなくポジティブな出来事です。
中国から見る辛亥革命
中国から見た辛亥革命は失敗と考えています。
と言うのも、中国がよく「1つの中国」と話しているニュースをよく見ませんか?
これは香港・マカオ・チベット・ウイグル、そして『台湾』などを含めて中国は1つであると言っています。
今回の記事を見てもらえば分かる通り、台湾は辛亥革命によって建国されましたね。
つまり、辛亥革命がなければ台湾はなく中国は1つだったかもしれません。
別の方法で中華民国(台湾)が建国されていたかもしれませんが、現状中華民国(台湾)と言う国が誕生しています。
そう考えると辛亥革命は中国にとってネガティブな出来事と言えるかもしれません。
ちなみに現在の中国も実は辛亥革命によってできた国家と言えます。
孫文が清王朝を倒した後、その孫文が作り出した国民党との内戦で勝利し、中国を支配することとなったのが、今の中国共産党です。
今の中国・台湾はどちらも辛亥革命によってできた国であり、孫文は台湾では「国の父」、中国でも「革命の父」と呼ばれるなど、どちらからも高い評価を受けています。
が、辛亥革命が起きる前に何かしらの方法で中国を建国できていれば台湾は存在せず「1つの中国」と言ういざこざはなかったかもしれません。
さいごに
最後までご覧いただきありがとうございます。
辛亥革命とはなんだったのか?
そして中国や台湾に対する知識が深まったなら嬉しい限りです。
今回はこのあたりで。
それではまた!