中国の王朝ってどんなのがあったっけ?
中国の王朝ってロマンあるよね!
簡単な覚え方ってないのかな?
古代中国と言えば『三国志』なんかが特に有名ですよね。
筆者は三国志と言う単語を聞くだけでロマンを感じます。
今回はそんなロマン溢れる『古代中国の王朝』を紹介していきます。
それでは早速>>>
- 中国の歴代王朝
- 中国の王朝の覚え方
中国の歴代王朝一覧(年表)
では早速見ていきましょう。
知っている王朝がいくつあるか見てみて下さいね。
特に有名な『三国志』はどの時代のお話でしょう?
王朝/時代 | 西暦 | 首都※現代の地名 |
---|---|---|
夏 | 紀元前2070年頃〜 紀元前1600年頃 | 河南省登封市 |
殷(商) | 紀元前1600年頃〜 紀元前1100年頃 | 河南省安陽市 |
周/春秋戦国時代 | 紀元前1100年頃〜 紀元前256年 | 陝西省西安市長安 |
秦 | 紀元前221年〜 紀元前207年 | 陝西省咸陽市 |
漢 | 紀元前202年〜220年 | 陝西省西安市長安 |
魏・蜀・呉/三国時代 | 220年〜280年 | 魏:洛陽 蜀:成都 呉:南京 |
晋 | 280年〜420年 | 河南省洛陽市 |
五胡十六国時代 | 304年〜439年 | ※この時代は晋と言う王朝があるものの16個(それ以上だったとも言われる)の国が乱立していた大混乱の時代 |
北魏・宋・斉・梁・陳/南北朝時代 | 439年〜589年 | 北魏(北側)の首都: 内モンゴル自治区フフホト市 山西省大同市 河南省洛陽市 宋、斉、梁、陳(南側)の首都: 江蘇省南京市 |
隋 | 581年〜618年 | 陝西省西安市 |
唐 | 618年〜907年 | 陝西省西安市 |
五代十国時代 | 907年〜960年 | 河南省開封市、河南省洛陽市など |
北宋 | 960年〜1271年 | 河南省開封市 |
元 | 1271年〜1368年 | 北京市 |
明 | 1368年〜1644年 | 江蘇省南京市 |
清 | 1616年〜1912年 | 北京市 |
中華民国 | 1912年〜1949年 | 北京市、江蘇省南京市 ※左記年代の首都 (2022年現在は台北) |
中華人民共和国 | 1941年〜現在 | 北京市 |
ご覧の通り多くの王朝があり、長い間分裂と統一を繰り返してきたのが中国の歴史ですね。
ここからは簡単にそれぞれの王朝について紹介していきます。
夏王朝について
「史記」に載っている中国最古の王朝。
17代の王様により471年続いたのち、次の王朝である殷(商)によって滅亡。
史記に載っているが決定的な歴史的材料がなく、本当に存在していたか議論されるケースはあるが、現在の中国では存在していたとして広まっている。
殷(商)王朝について
考古学的に確実に存在していたとされる最古の王朝。
日本では「殷」と呼ぶが中国では「商」と呼ぶ方が一般的。
中国最古の文字である甲骨文字が使われていた。
その甲骨文字を読み解く事によって、考古学的に殷(商)王朝が存在していたことが裏付けられた。
周王朝/春秋戦国時代について
中国史上最も長く続いた王朝。
その長さは790年です。
群雄割拠の古代中国においてこの長い間王朝として統制していたのは凄いことですよね。
また、紀元前770年に周王朝が都を洛陽に移してから紀元前221年に秦王朝が中国を統一するまでを春秋戦国時代と言います。
その中でも紀元前403年までを春秋時代、紀元前403年以降を戦国時代と呼ぶことも多いです。
秦王朝について
中国で初めて全土を完全に統一した王朝です。
中国の歴史において非常に重要であるとされています。
日本人でも恐らく誰もが聞いたことのある『万里の長城』や『兵馬俑』もこの時代に作られました。
秦が全土を統一したのは紀元前221年のこと。
この時代に作られた建造物が長い時を経て、現在人気スポットになってってロマンがありますよね。
初めての全土統一を紀元前221年に成し遂げた秦王朝ですが、紀元前206年、わずか15年で幕を閉じます。
全土を統一したことで有頂天になったのか、国民に強制労働を押し付けるなど多くの反感を買い、その後の反乱により滅亡しました。
王朝がなくなった中国は各地に勢力が存在する群雄割拠の時代に再び戻ってしまいます。
漢王朝について
筆者が中国の歴史で最も重要だと思う王朝がこの「漢王朝」。
漢王朝を建国する事になる『劉邦』が群雄割拠の中国を再び統一し、1つにします。
よく聞く『儒教』はこの時代に強く広まりました。
また、現代の中国は多くの民族が集まって1つの国となっているのはご存知だと思います。
その民族の大部分(およそ92%)を占めるのが漢民族。
この漢民族はまさにこの漢王朝が関係しています。
さらに、日本人も使っている『漢字』。
「漢」の「字」と書きますよね。ここまで説明すればもうお察しの通りです。
このように漢王朝が築いだものが現代の中国の礎となっています。
ちなみに
漢王朝を建国した「劉邦」の妻はあることで有名です。
三国時代(三国志)
漢王朝の次は遂にきましたね。
誰もが聞いたことのある『三国志』の時代です。
三国時代はその名の通り、魏・蜀・呉の三国が乱立し天下を取るべく争いました。
この時代には中国国内に3人の皇帝が存在します。
それぞれ見ていきましょう。
三国志の勝者は誰なのでしょうか?
そこには意外な真実が。
魏について
中国の華北(北の方)を支配した王朝。
- 首都=洛陽
- 皇帝=曹丕(曹操の息子であり、一応正式な建国者)※魏の体制を整えるなど実質的な建国者は曹操
最大の特徴は圧倒的な人口と国土。
三国時代の勝者であり、後に残される文献などは勝者である魏目線で書かれているものが多いです。
力がものを言う時代ですからね。
勝った人の都合がいい内容で残されている可能性もあります。
「過程ではなく結果が全てだ」と言う実力主義な印象。
しかし、本物の勝者ではありません。
蜀について
中国の益州(真ん中少し左の辺り)を支配した王朝。
- 首都=成都
- 皇帝=劉備
人それぞれどんなイメージを持っているかは変わるはずですが、一般的に蜀は人情深く知的なイメージがあるんじゃないでしょうか?
有名な武将も多く一番華があると言えるかもしれません。
特に天才軍師(戦を指揮するリーダー)である諸葛亮孔明は現代のドラマでも引っ張りだこですね。
しかし、人口や国土は三国で最も少なく常に苦労があったとされています。
少数精鋭ですね。その分知識を使い立ち向かっていたと言う事になります。
魏のような圧倒的な力を前に苦戦しながらも立ち向かう姿は、アニメなどの主役と重なる部分があります。
一般的に
- 蜀=正義
- 魏=悪
と言われることが多いです。
呉について
中国の揚州、荊州(湖北省付近、右下)の辺りを支配した王朝。
- 首都=建業(現在の南京の辺り)
- 皇帝=孫権
呉は親子三代で支えた言わば一族の国です。
三国志では正義の蜀vs悪の魏と言うような構図が強く、呉はサブキャラのような少し目立たない印象。
人口や国力は蜀よりは多い程度で魏には到底及びません。
ちなみに「蜀の兵力」+「呉の兵力」を足しても「魏の兵力」には到底及ばないとも言われています。
魏が圧倒的過ぎて悪者扱いされるのも分かりますよね。
そんな呉ですが、いよいよある戦いで超巨大国家、魏と対峙する事になります。
それがかの有名な『赤壁の戦い』です。
赤壁の戦いでは呉は兵力さから明らかに勝てるはずがないため、蜀の劉備と同盟を組んで戦います。
蜀と同盟を組むことで天才軍師「諸葛亮」も味方につけ、見事「蜀・呉」の連合国は魏の圧倒的な力に勝利します。
晋王朝について(三国の終焉)
三国志の勝者。
「三国」にいなかったのになんで?
そんな疑問が当然生まれるはずです。
三国志って単純じゃない物語や人情ドラマがあるから数千年に渡って語り継がれているんですよね。
三国時代の終焉
後に晋王朝を建国する『司馬炎』は当時、魏の武将として戦っていました。
しかし、父親で魏の国の軍師であった『司馬懿』と共謀し、内乱を起こします。
そして内乱は成功し魏を乗っ取り、新しく晋王朝を建国することとなります。
いわゆる裏切りです。
一応形式では最終的には魏から晋の建国者「司馬炎」に禅譲(皇帝の地位を渡すこと)したとなっていますが、渡したと言うより内乱で負けたので渡すしかなかったといった感じですね。
そうしてその勢いのまま晋王朝は長い戦いで力の残っていなかった呉を攻め立て勝利します。
このように三国志の最後は魏の内乱で司馬一族に乗っ取られる形であっさりと終焉を迎えます。
五胡十六国時代(ごこじゅうろっこく)について
三国志の勝者となり中国統一を果たした晋王朝ですが、新たな勢力が出てきます。
それが五胡と呼ばれる以下の勢力です。
- 匈奴
- 鮮卑
- 羯
- 氐
- 羌
これらの勢力は異民族(外国人)であり、中国を統一している晋王朝の領土の北川半分を奪う事になります。
異民族の台頭によって中国人たちは南へと逃げていきます。
これが南である日本へ中国文化が伝わる1つのきっかけにもなります。
こうしてまた統一され1つになっていた中国は分断され、特に北側では16の国が成立するまたしても群雄割拠の時代に戻ってしまいます。
南北朝時代について
華北(北側)だけで16の国ができてしまった中国。
これを治めるのが五胡の1つである鮮卑。
鮮卑が建国した国を『北魏』と言います。
※曹操、曹丕が建国した魏と同じ漢字ですが別物。
鮮卑が北側を収めたことで北には『北魏王朝』、南には『宋王朝』と南北に2つの王朝が存在する時代になりました。
北魏王朝について/南北朝時代
ここからは南北朝時代の「北」側地域のお話。
北側を統一した北魏ですが、内部争いで分断を起こします。
分断された事により「東魏」、「西魏」に別れます。
そうして東魏vs西魏の構図となるもののそれぞれ手下に乗っ取られます。
- 東魏→北斉
- 西魏→北周
となり、最終的に北周(元西魏)が勝利を治めます。
宋、斉、梁、陳王朝について/南北朝時代
ここからは南北朝時代の「南」側地域のお話。
南側には元々晋王朝がありました。
移民ではなく、正式な中国人たちですね。
そんな晋王朝も国力が次第に低下し、最終的に宋に王朝を渡すこととなり、南北朝時代初期には既に晋王朝から宋王朝に移り変わっていました。
南側ではこのように宋→斉→梁→陳と王朝が移り変わっていきます。
首都はいずれも建康
隋について
南北朝時代は最終的に北は北周、南は陳が支配する形となりました。
隋は北側の北周からできた新しい王朝です。
この隋が南北に分断されていた中国を再び統一します。
全土の統一はおよそ300年ぶりとなります。
そしてこの隋の時代には非常に大切なできごとがあります。
科挙の実施です。
科挙とは?
いわゆる国家試験。
役人の役職や適性を見極め、優秀な人材を確保するために行われたテスト。
唐について
またしても隋の体制が乱れていた際に乗っ取りが発生する事により唐王朝が誕生します。
唐の時代では現代にも通じる政治体制がどんどん整備されていきます。
日本の今で言うところの内閣や各省庁にあたります。
また、隋の時代に完成した科挙は引き続き受け継がれます。
このようにして様々な制度を整え、唐はこの時代に既に法律国家として国を治めるようになります。
そんな唐王朝も唐の将軍であった朱全忠の乗っ取りによって終焉を迎えます。
五代十国時代について
唐王朝が滅亡した後の五代十国時代は不安定な時代になります。
後梁→後唐→後晋→後漢→後周
どの王朝も短く目まぐるしく変化していきます。
後梁王朝について(907年〜923年)
唐を滅亡させた朱全忠が建国した王朝。
首都は開封。(現代の河南省開封市)
後唐王朝について(923年〜936年)
首都は洛陽。(現代の河南省洛陽市)
後晋王朝について(936年〜946年)
首都は開封。(現代の河南省開封市)
北方移民の援助を受けて建国したため、北方移民にある土地を渡してしまった王朝。
そのある土地とは万里の長城。
万里の長城とは北方の敵から守るために建設されたもので、それをあげてしまったせいで敵が簡単に侵入してくるようになり今後苦しめられることとなります。
後漢王朝について(947年〜950年)
首都は開封。(現代の河南省開封市)
後周王朝について(951年〜960年)
首都は開封。(現代の河南省開封市)
北宋王朝について
唐の滅亡後、不安定だった中国王朝を再び統一するのが北宋王朝。
首都は開封。(現代の河南省開封市)
軍事よりも政治的な解決を目指した時代。
お金も潤い大都市も栄え充実していた時代。
そんな北宋王朝もあるできごとで終焉を迎えます。
それが元王朝の登場です。
元王朝について
元王朝とはモンゴル人の王朝です。
当時北方にいたモンゴル人が中国へ攻め込み支配しました。
注目すべきその皇帝はチンギスハンです。
遂にかの有名なチンギスハンの登場です。
なぜチンギスハンは中国統一を果たせたのか?
それは後晋王朝のあのやらかしが響いています。
そうです。万里の長城を渡してしまったあれです。
そのためチンギスハンは軽々と万里の長城を乗り越え、中国へ攻め込みました。
ここからおよそ100年間モンゴルによる中国統治が始まります。
明王朝について
およそ100年に渡ったモンゴルによる中国統治に終止符を打つのが明王朝です。
明王朝が出てきた事によって再び中国人による統一が達成されました。
この明王朝時代には様々な上手く機能していなかった制度が廃止され整えられました。
そのうえで少し独裁に近い政治体制になりつつありました。
ちなみに明王朝の時代に日本のある有名な武将が攻め込みます。
豊臣秀吉です。
清王朝について
清王朝は漢民族(中国人)ではない満州族が満州の辺り(現代の中国北側)に建国した王朝です。
北側で建国した異民族の王朝が再び万里の長城を乗り越え統一します。
清の時代ともなれば外国との貿易や交流も盛んに行われました。
しかし、海外との接触は良い面だけではありません。
清王朝時代の主なできごと
- イギリスとのアヘン戦争
- イギリス、フランスによるアロー戦争(別名:第二次アヘン戦争)
- 日本との日清戦争
- 辛亥革命
日本の授業でも学習しましたよね。
海外との接触により戦争になり、敗戦を続け国民の中には不信感を抱く人が増えていきます。
※戦争に負けたことだけが不信感に繋がったわけではない。西太后の存在が不信感になった一因でもあります。
そうして統制が取れなくなった清は最終的には辛亥革命(内部の分断)を引き起こします。
そんな清王朝ですが、中国を非常に大きく繁栄させた王朝としては間違いありません。
参考に清王朝以前の領土と清王朝が取得した領土を見てみましょう。
清王朝以前と建国後の中国領土
※おおよそ
なんか「んっ?」って感じですよね。
注目してもらいたいのは赤丸の部分。ここが清王朝以前の中国領土ですが今の中国と比べるとかなり小さいことが分かると思います。
対して緑色の部分が清王朝建国後の中国領土です。
元の領土の倍では済まないほど、増えておりむしろ現代の中国とほぼ同じです。
つまり現在の中国を作り上げたのはこの清王朝です。
中華民国について
孫文による辛亥革命で誕生した国家。
1912年〜1949年までの間には首都は北京や南京にありました。
辛亥革命により清王朝を倒したが、巨大な中国を統治し続けるのは難しく、後に中国を統治することになる中国共産党との内戦(国共内戦「別名:解放戦争」)に敗れ台湾へ逃れることになります。
その後の中華民国は現在の台湾であり、首都は台北となっています。
中華人民共和国について
1949年10月1日、北京を首都とした「中華人民共和国」が誕生します。
皆さんもご存知の2022年現在の「中国」ですね。
中国共産党は1921年に結成され、国共内戦において孫文が立ち上げた国民党(中華民国)に勝利し、中華人民共和国を建国します。
結成が1921年ということで…
そうなんです。
2021年に中国共産党誕生100周年を迎えました。
※中華人民共和国誕生100周年ではない
ちょうど100周年と言うことで、実はお隣中国では共産党100年の歴史を辿るムービーが放送されるなど大規模なイベントが開かれていました。
ご存知でしたか?
数千年の歴史を誇る中国では常に、王朝が倒し倒され新しい時代を生み出してきました。
およそ100年前に中国共産党に変わってからは「リーダーが同じ」と言う意味では一旦落ち着いている時期だと言えます。
とはいえ数千年の歴史を知ってもらえば分かる通り、中国は常に分裂と統一を繰り返してきました。
未来のことは誰にも分かりませんが、今後の中国の動きはやはり注目です。
中国王朝の王道の覚え方
四千〜五千年の歴史を誇る中国の王朝はそう簡単には覚えられませんよね。
中国王朝の覚え方としてリズムに乗せて覚える王道な方法があります。
ここではその王道の方法2つを紹介していきます。
アルプス一万尺で覚える
1つ目はアルプス一万尺です。
殷、周、東周、春秋戦国
(アルプス一万尺)
秦、前漢、新、後漢
(こやりのうえで)
魏、蜀、呉、西晋、東晋
(アルペン踊りを)
宋、斉、梁、陳、隋
(さあ踊りましょ)
五胡十六、北魏、東魏
(らんららんらん)
西魏、北斉、北周
(らんらんらんらん)
隋、唐、五代十国、宋、金
(らんららんらんらんらんらんらん)
南宋、元、明、清
(らんらんらんらんらん)
もしもしかめよで覚える
2つ目はもしもしかめよです。
殷、周、秦、漢
(もしもしかめよ)
三国、晋
(かめさんよ)
南北朝、唐
(せかいのうちに)
隋、五代
(おまえほど)
宋、元、明、清
(あゆみののろい)
中華民国
(ものはない)
中華人民共和国
(どうしてそんなにのろいのか)
終わりのあいさつ
ここまでご覧いただきありがとうございました。
悠久の歴史を誇る中国史はロマンに溢れていますよね。
数千年もの間、群雄割拠の時代が続き多くのヒーロー達が存在しました。
そしてここには書ききれない多くの物語があります。
今回は王朝について紹介しましたが、少しでも理解が深まれば幸いです。
今回はこの辺りで。
それではまた!